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インタビュー記録

INTERVIEW 002

10歳の少年が見たマニラ市街戦 極限の病院で人間の盾にとられて
レオポルド・P・デグスマンさん
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ストーリー

「東洋の真珠」と呼ばれたフィリピンの首都マニラ。
1945年の2月から3月まで、この街で日本軍と米軍の間で激しい地上戦が繰り広げられました。

わずか1ヶ月の間に12万人の命が失われ、
このうち、実に10万人がマニラ市民だったといわれます。
 

10歳のとき、この地上戦に巻き込まれたレオポルド・P・デグスマンさん。
 

レオポルドさんは家族とともに逃げ場がない病院の建物に追い詰められ、
恐怖と飢えいう極限の中を生き抜きました。

子どもの目がみつめたマニラ市街戦を語ってくれました。

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10歳の少年がみたマニラ市街戦
日本軍に人間の盾にとられて

初めて日本軍を見た日。学校で始まった日本語教育。
そして、始まった地上戦の中で、人間の盾として閉じ込められた病院の建物。
恐怖と飢えの中で、少年が経験した極限の状態。
そして、戦後も考え続けてきたこととは。

中国残留孤児・池田澄江さん
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「マニラ市街戦」  

市民10万人の犠牲はなぜ引き起こされたのか? 

わずか1か月の間に市民10万人が命を落としたマニラ市街戦。
なぜこれほどの犠牲が生まれたのか。
なぜ、日本軍による市民の虐殺が行われたのか。

そして、戦後、フィリピンの人々は市街戦の歴史とどう向き合ったのか。​
​インタビューの背景を知るための解説編。

中国残留孤児・池田澄江さん
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写真:Courtesy of Army
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